名古屋グランパス。その名は「シャチ」を意味し、黄金の鯱をシンボルとする名古屋市、豊田市、みよし市を中心とした愛知県全域をホームタウンとするクラブです。
1993年のJリーグ開幕以来、リーグを支えてきた「オリジナル10」の一角であり、数々の名選手や名監督を輩出してきました。
本記事では、グランパスが歩んできた激動の歴史と、その歩みを支えた偉大なプレーヤーたちについて詳しく解説します。
Jリーグの幕開けと世界的スターの到来(1993年〜1994年)
名古屋グランパス(当時は名古屋グランパスエイト)の歴史は、1993年のJリーグ開幕とともに始まりました。
トヨタ自動車サッカー部を前身とするこのクラブは、開幕前から大きな注目を集めていました。
その最大の理由は、イングランド代表の伝説的ストライカー、ゲーリー・リネカーの獲得です。
しかし、華々しい期待とは裏腹に、初期の成績は苦しいものでした。
リネカーは怪我に泣かされ、チームも戦術が浸透せず、1993年はサントリーシリーズで9位、ニコスシリーズで8位と低迷します。
翌1994年も成績は上向かず、スター軍団でありながら「勝てないチーム」というレッテルを貼られる時期が続きました。
アーセン・ヴェンゲルとピクシーによる「革命」(1995年〜1996年)
低迷するクラブに劇的な変化をもたらしたのが、1995年に就任したフランス人指揮官、アーセン・ヴェンゲルです。
後にアーセナルFCで世界的な名将となる彼は、グランパスにプロフェッショナリズムと洗練されたパスサッカーを叩き込みました。
そして、この革命の旗手となったのが、前年に加入していた「ピクシー」ことドラガン・ストイコビッチでした。
ヴェンゲルの指導のもと、本来の輝きを取り戻したストイコビッチは、ピッチ上で魔法のようなプレーを連発。
1995年、クラブは天皇杯を制して初のメジャータイトルを獲得し、リーグ戦でも2位と躍進しました。
この時期のグランパスは、日本で最も魅力的なサッカーを展開するチームとして、全国のファンを虜にしました。
安定期とミスター・グランパスの系譜(1997年〜2007年)
ヴェンゲルが去った後も、グランパスは強豪の一角としてJリーグに君臨し続けます。
1999年には再び天皇杯を制し、2度目のタイトルを獲得。
この時期のチームを支えたのは、日本を代表する守護神・楢﨑正剛でした。
1999年に加入した彼は、以来20年にわたってグランパスのゴールマウスを守り続け、「ミスター・グランパス」としての地位を確立します。
2000年代前半は、ウェズレイやマルケスといった強力なブラジル人助っ人が攻撃を牽引しましたが、リーグタイトルにはあと一歩届かないシーズンが続きました。
しかし、育成面では本田圭佑や吉田麻也といった、後に世界へ羽ばたく才能を輩出するなど、クラブとしての基盤を強固にしていった時期でもありました。
ストイコビッチ政権下の悲願と栄光(2008年〜2013年)
2008年、かつてのヒーローであるドラガン・ストイコビッチが監督として帰還します。
彼は「Attractive Football」を掲げ、再びチームを頂点へと導くための再建に着手しました。
その結実が、2010年シーズンのJ1リーグ初制覇です。
守備の要として加入した田中マルクス闘莉王、圧倒的な高さを誇るジョシュア・ケネディ、そして円熟味を増した楢﨑正剛。
攻守にわたって隙のない布陣を敷いたグランパスは、圧倒的な強さで念願のシャーレを掲げました。
名古屋の街が赤く染まったこの年は、クラブ史において最も輝かしい1ページとなっています。
降格の衝撃、そして再起(2014年〜2020年)
栄光の時代はやがて終焉を迎え、クラブは最大の試練に直面します。
2016年、主力選手の離脱や成績不振が重なり、クラブ史上初のJ2降格を経験しました。
オリジナル10としての誇りが打ち砕かれた瞬間でしたが、ファン・サポーターはチームを見捨てませんでした。
2017年、風間八宏監督のもとで「1年でのJ1復帰」を至上命題として戦い、昇格プレーオフを制して再びトップリーグの舞台に戻ります。
その後、マッシモ・フィッカデンティ監督が就任すると、チームは「堅守」を武器に再び安定感を取り戻しました。
2021年にはJリーグカップ(ルヴァンカップ)を制し、2010年以来となるタイトルを名古屋にもたらしました。
近年の戦いと未来への展望(2021年〜)
長谷川健太監督体制へと移行した近年、グランパスは常に上位を争う競争力を維持しています。
2024年シーズンには、アルビレックス新潟との壮絶な決勝戦をPK戦の末に制し、3年ぶり2度目のルヴァンカップ優勝を果たしました。
この試合は、長年ゴールを守り続けたランゲラックの花道を飾る記念碑的な一戦となりました。
2025年シーズンはリーグ戦16位と苦しみましたが、稲垣祥を中心とした粘り強い戦いでJ1残留を確定。
現在は、ミシャ新監督の元若手の台頭とベテランの経験が融合し、再びリーグタイトルを狙うための再構築が進んでいます。
専用スタジアムである豊田スタジアムには、今も熱狂的な赤いサポーターが詰めかけ、新たな伝説の幕開けを待ち望んでいます。
主な歴代・現役所属選手
名古屋グランパスの歴史を彩った象徴的な選手たちを紹介します。
ドラガン・ストイコビッチ(ピクシー)
1994年から2001年まで在籍。
卓越したテクニックと創造性で、日本サッカー界全体に衝撃を与えた「妖精」。
選手としてだけでなく、監督としてもリーグ優勝をもたらした、グランパス史上最大のレジェンドです。
楢﨑正剛
1999年から2018年まで在籍。
J1通算631試合出場という大記録を持ち、2010年にはゴールキーパーとして初のMVPを受賞しました。
彼の存在こそが、長きにわたるグランパスの安定感の象徴でした。
田中マルクス闘莉王
2010年の優勝に不可欠だった闘将。
圧倒的な統率力と、DFながら重要な局面でゴールを決める勝負強さで、チームに勝利の文化を植え付けました。
ゲーリー・リネカー
開幕時の世界的スター。
怪我により本来の力は見せられませんでしたが、彼の加入が名古屋グランパスというクラブを世界に知らしめるきっかけとなりました。
ミッチェル・ランゲラック
2018年に加入し、驚異的な反射神経で数々のピンチを救った守護神。
2021年にはJ1連続無失点記録を更新するなど、現代のグランパスを支えた最高の助っ人の一人です。
2024年のルヴァン杯優勝を最後にチームを去りましたが、その功績は永遠に語り継がれます。
稲垣祥
現在のチームの心臓。
驚異的な走行距離と危機察知能力で中盤を支配し、勝負どころでのミドルシュートも武器。
キャプテンとして、新たな時代のリーダーを務めています。
まとめ:伝統を受け継ぎ、さらなる高みへ
名古屋グランパスの歴史は、世界的なスターの華やかさと、降格という苦い経験、そしてそこから這い上がる不屈の精神によって形作られてきました。
トヨタという巨大なバックアップを持ちながらも、決して順風満帆な時ばかりではありませんでした。
しかし、そのたびにグランパスは強くなって戻ってきました。
ヴェンゲルが植え付けた美学、ストイコビッチが示した勝利への執念、そしてサポーターが育んできたクラブ愛。
これらが混ざり合い、今のグランパスがあります。
2026年、古豪から真の強豪へ。
名古屋グランパスはこれからも、愛知県の誇りとして、そしてJリーグを牽引する存在として、新たな歴史を刻み続けます。













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