アスレティック・ビルバオは、スペインのバスク地方に本拠地を置く名門サッカークラブで、1898年に設立されました。
現在も続く「カンテラ政策(バスク人選手のみの起用)」を採用しており、この方針によってバスク地方の文化とアイデンティティを象徴する存在として知られています。
また、ビルバオはレアル・マドリードやバルセロナと並び、ラ・リーガの創設メンバーの一つで、歴史的にも常にトップリーグに所属し続けています。
この3クラブだけが一度も降格を経験していません。
創設と初期の歴史
ビルバオの歴史は、19世紀後半のイギリス人労働者によって持ち込まれたサッカー文化から始まります。
当初、地元の若者とイギリス人が中心となりクラブが結成され、1903年にはクラブの規模が拡大しました。
同年、スペイン最古の大会であるコパ・デル・レイの第1回大会に優勝しています。
1911年に赤と白のユニフォームを採用し、それ以来「ロヒブランコス」として親しまれるようになりました。
また、1930年代にはスペイン国内で圧倒的な強さを誇り、ラ・リーガやコパ・デル・レイで幾度も優勝を果たしました。
黄金時代:1930年代から1950年代
アスレティック・ビルバオの真の黄金期は1930年代から1950年代にかけて訪れます。
特に、スペインサッカー界の伝説的なストライカー、テルモ・サラが在籍していた時期はクラブ史上最も成功した時代といえます。
テルモ・サラ:ラ・リーガで歴代最多得点を長年保持し(現在は破られています)、6度のリーグ得点王に輝きました。
20世紀中盤の躍進:ビルバオは1956年までにコパ・デル・レイで最多優勝記録を保持し続け、リーグ優勝を複数回達成しています。
カンテラ政策とクラブ哲学
アスレティック・ビルバオの最もユニークな特徴は、バスク地方出身者もしくはバスク地方で育成された選手のみを起用する「カンテラ政策」です。
この方針はクラブのアイデンティティを守るためであり、地域社会の誇りとしても機能しています。
他クラブと比較して選手層が限られる一方で、この政策によって地元ファンとの絆が非常に強く保たれています。
クラブのユースアカデミーは非常に高い評価を受けており、近年もアスレティックがスペイン代表に多くの選手を輩出しています。
現代の成績と近年の成功
2000年代に入ってもクラブは依然として国内で競争力を保ち続けています。
特に2010年代には、コパ・デル・レイやスーパーカップといったタイトルを狙い続けています。
- 2012年:マルセロ・ビエルサ監督の下でUEFAヨーロッパリーグ決勝に進出(アトレティコ・マドリードに敗北)。
- 2015年:スペインスーパーカップでバルセロナを破り、久々の主要タイトルを獲得。
- 2020-21年シーズン:新たにマルセリーノ監督を迎え、コパ・デル・レイ準優勝に輝くなど、トップクラブと互角に戦っています。
主な所属選手
歴史的なスター選手
- テルモ・サラ:クラブの象徴であり、バスクの誇り。
- ハビエル・イルレタ:1960年代に活躍した攻撃的ミッドフィルダー。
- ホセ・アンヘル・イリバー:20世紀を代表するゴールキーパーで、スペイン代表でも活躍。
近年の重要選手
- フェルナンド・ジョレンテ:2000年代後半から2010年代初頭にかけてクラブを支えたFW。
- アリツ・アドゥリス:得点力の高いストライカーで、晩年もなお得点感覚を発揮。
- イケル・ムニアイン:攻撃的ミッドフィルダーとして活躍し、現在のキャプテン。
- アンドレ・イトラスペ:安定した守備力を持つ中盤の司令塔としてプレー。
本拠地とファン文化
アスレティック・ビルバオの本拠地は、サン・マメススタジアムです。
このスタジアムは「ラ・カテドラル」と呼ばれ、ファンにとって聖地のような存在です。
試合日は地域全体が盛り上がり、特にバスク地方内のライバルであるレアル・ソシエダとの試合は白熱します。
最後に
アスレティック・ビルバオは、スペインサッカーにおいて唯一無二の存在です。
成功への飽くなき挑戦と地域に根ざしたクラブ哲学は、多くのサポーターの心を掴んでいます。
カンテラ政策のもと、将来に向けて新しいスター選手を育てながら、クラブのアイデンティティを守り続けています。
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