埼玉県さいたま市をホームタウンとする浦和レッドダイヤモンズ。
前身は日本サッカー界の古豪、三菱重工業サッカー部です。
1993年のJリーグ開幕以来、その熱狂的なサポーターは「世界一」とも称され、スタジアムを真っ赤に染め上げる光景はJリーグの象徴となっています。
本記事では、Jリーグ黎明期の苦闘から、2020年代の現在に至るまでの栄光と挑戦を振り返ります。
浦和レッズの歴史:どん底からの躍進とアジア制覇
浦和レッズの歴史は、決して平坦なものではありませんでした。
特に初期は「Jリーグのお荷物」と揶揄されるほどの苦しみを味わいました。
屈辱の黎明期とJ2降格の悲劇(1993年 – 2000年)
1993年の開幕当初、浦和は勝ち星を挙げられず、最下位に沈むシーズンが続きました。
しかし、1994年に元ドイツ代表のギド・ブッフバルト氏が加入すると、チームの守備意識が劇的に改善。
1995年には、名将ホルガー・オジェック監督のもとで年間3位と躍進しました。
ところが1999年、チームは再び低迷。
最終節にVゴール勝ちを収めながらも、得失点差などの影響でJ2降格が決定。
福田正博選手が見せた「涙のVゴール」は、今もクラブ史上最も悲劇的な場面として語り継がれています。
翌2000年、1年でJ1復帰を果たし、ここから浦和の「反撃」が始まります。
第一次黄金時代とアジアの頂点(2003年 – 2007年)
J1復帰後の浦和は、積極的な補強と若手の成長により強豪へと変貌します。
2003年にナビスコカップを制して初タイトルを獲得すると、2004年には第2ステージで優勝。
そして2006年、ブッフバルト監督のもとで、悲願のJ1リーグ初優勝を達成しました。
翌2007年には、ホルガー・オジェック監督のもとでAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初制覇。
「アジアに浦和あり」を知らしめ、クラブワールドカップでも3位に輝くなど、名実ともに日本のトップクラブとなりました。
「ミシャ・スタイル」とカップ戦での強さ(2012年 – 2017年)
数年の停滞期を経て、2012年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督(愛称:ミシャ)が就任。
独特な攻撃的パスサッカーを導入し、常に優勝争いに絡む安定感を手に入れました。
リーグ制覇こそ逃し続けましたが、2016年にルヴァンカップを制覇。
そして2017年、堀孝史監督への交代を経て、クラブ史上2度目のAFC制覇を成し遂げました。
3度目のアジア王座と新たな挑戦(2018年 – )
2018年以降、監督交代が重なる時期もありましたが、2021年には天皇杯を制し、2022年のACL(決勝は2023年開催)では、サウジアラビアの強豪アル・ヒラルを破り、Jリーグ勢最多となる3度目のアジア制覇という偉業を成し遂げました。
2024年、2025年シーズンは、マチェイ・スコルジャ監督の再登板やペア・マティアス・ヘグモ監督による改革を試み、守備の安定とダイレクトな攻撃の融合を模索。
2025シーズンは、終盤まで粘り強く戦い、国内タイトル争いに常に顔を出し続けました。
2026年現在、浦和は「世界に見せつけろ、俺たちの誇り」というチャントの通り、再び世界(クラブW杯)への挑戦を見据えた新時代に突入しています。
クラブを支えた主な所属選手
浦和レッズの歴史は、強烈な個性とクラブへの愛を持つスター選手たちによって作られてきました。
福田正博:ミスター・レッズ
Jリーグ日本人初の得点王。
1989年から2002年の引退まで浦和一筋でプレーし、苦しい時代を支え続けた象徴です。
その献身的な姿勢から「ミスター・レッズ」の称号を授かり、現在もファンから絶大な支持を受けています。
小野伸二:天才の名を冠する至宝
1998年に加入。
その類まれなテクニックと創造性は、当時の日本サッカー界に衝撃を与えました。
フェイエノールトでの海外挑戦を経て、2006年のリーグ初制覇時にも大きく貢献。
彼がボールを持つだけでスタジアムが期待に包まれる、唯一無二の天才でした。
ギド・ブッフバルト:鉄壁の壁、そして知将
選手として浦和の守備を再建し、監督としてリーグ優勝をもたらした人物。
そのプロ意識と勝利への執念は、浦和レッズに「勝者のメンタリティ」を植え付けました。
田中マルクス闘莉王:闘魂のセンターバック
2004年に加入し、2006年のリーグ優勝の立役者となりました。
ディフェンダーながら圧倒的な攻撃力を持ち、幾度となくゴールでチームを救った「闘将」です。
その強烈なリーダーシップは、黄金時代の浦和の象徴でした。
興梠慎三:エースの系譜
2013年に加入して以来、Jリーグで9年連続2桁得点を記録するなど、圧倒的な決定力を誇るストライカー。
クラブ歴代最多得点記録を更新し続け、前線でのポストプレーと裏への抜け出しの質は、歴代の監督たちから絶大な信頼を寄せられています。
西川周作:守護神であり司令塔
2014年の加入以来、最後方から正確なパントキックで攻撃の起点となり、幾多のピンチを救ってきた守護神。
3度のACL制覇すべてに関わるなど、近年の浦和の成功に欠かせない、Jリーグ屈指のゴールキーパーです。
まとめ
浦和レッズの歩みは、Jリーグの中で最も劇的であり、かつ重厚なものです。
最下位や降格という苦難を、サポーターと共に乗り越え、アジアで最も成功した日本クラブの一つとなりました。
「Pride of Urawa(浦和の誇り)」という言葉には、単なる強さだけでなく、街とファン、そしてクラブが一体となって戦う決意が込められています。
新たな航海を続ける浦和レッズは、さいたまスタジアム2002という最高の舞台で、これからも日本のサッカー界を牽引し、アジア、そして世界の頂を目指し続けます。













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