大分県出身のドリブラー、三笘薫選手は、独特のボールタッチと爆発的な加速で世界を魅了する日本代表のエースです。
川崎フロンターレの下部組織で育ち、筑波大学進学という異色の道を選んだ後、プロデビューを果たし、プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーブ・アルビオンで主力として活躍。
2022年カタールワールドカップでの劇的なアシストや、2024-25シーズンの日本人初プレミア二桁得点達成など、目覚ましい成果を挙げています。
2025年12月現在もブライトンでプレーし、負傷からの復帰を果たした彼のキャリアを振り返ります。
幼少期から高校時代:川崎フロンターレの下部組織で才能開花
三笘薫選手は1997年5月20日、大分県日田市に生まれ、神奈川県川崎市で育ちました。
兄の影響でサッカーを始め、小学校時代から川崎フロンターレの下部組織に所属。
さぎぬまSCを経て、フロンターレU-10からユースまで一貫してプレーしました。
高校は神奈川県立橘高等学校に進学。
ユースチームで活躍し、高校3年時にはトップチーム昇格のオファーを受けましたが、「プロとしてやっていく自信がなかった」と大学進学を選択。
多くの選手が即プロ入りする中、この決断が後の成功の基盤となりました。
大学時代:筑波大学でドリブル理論を構築
筑波大学体育専門学群に進学した三笘選手は、サッカー部でさらに技術を磨きました。
大学時代に独自のドリブル理論を研究し、卒業論文では「ドリブルによる相手DFの重心移動」をテーマにまとめました。
この理論が、彼の「ヌルヌルドリブル」の原点です。
在学中は特別指定選手として川崎フロンターレに登録。
2017年と2019年のユニバーシアード日本代表として金メダル2回獲得。
2018年アジア大会、2019年トゥーロン国際大会にもU-23代表で出場しました。
天皇杯ではプロチーム相手に活躍し、注目を集めました。
Jリーグデビュー:川崎フロンターレで爆発的な活躍
2020年、筑波大学卒業後に川崎フロンターレへ正式加入。
プロ1年目でJ1リーグ30試合13得点12アシストを記録し、チームのリーグ優勝に貢献。
ベストイレブンに選出されました。
2021年も20試合8得点3アシスト。2年連続リーグ優勝と天皇杯制覇に導き、MVP級の活躍を見せました。
この活躍が欧州移籍のきっかけとなりました。
欧州挑戦:ブライトン加入とベルギー武者修行
2021年8月、プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーブ・アルビオンへ完全移籍。
適応のため、ベルギーのユニオン・サン=ジロワーズへレンタル移籍しました。
27試合7得点3アシストを記録し、チームのリーグ2位に貢献。欧州での実力を証明しました。

プレミアリーグ本格デビュー:ブライトンでスターに
2022-23シーズン、ブライトンに復帰。
33試合7得点5アシストを挙げ、チームの過去最高6位フィニッシュに貢献。
リバプール戦やレスター戦での活躍が光りました。
2023-24シーズンは腰の負傷で19試合3得点4アシストに留まり、シーズン後半を欠場。
2024-25シーズンは復調し、36試合10得点4アシスト。
日本人選手初のプレミアリーグ二桁得点を達成。
チェルシー戦でのゴールが月間最優秀ゴールに選ばれるなど、クラブ最高得点タイの活躍でチームの8位に貢献しました。
2025-26シーズンは、開幕から出場していましたが、9月末のチェルシー戦で左足首を負傷。
約2ヶ月半離脱後、12月13日のリバプール戦で復帰。
途中出場を重ね、チームに貢献しています。
12月現在、8試合1得点1アシストを記録中です。
日本代表での活躍:W杯の英雄と国際舞台
2019年に日本代表初招集。
2022年カタールワールドカップではグループリーグ全3試合出場。
スペイン戦での「奇跡のアシスト」(ラインぎりぎりの折り返しで田中碧の逆転ゴール)が世界を震撼させ、日本の大金星に貢献しました。
2024年アジアカップでは負傷明けで途中出場のみ。
2025年は負傷の影響で一部招集外となりましたが、代表の主力としてW杯北中米大会予選などで期待されています。
最後に
三笘選手のプレースタイルは、緩急自在のドリブルと鋭いカットインが武器。
元日本代表松井大輔氏からは「理詰めのドリブル」と評され、世界トップレベルの1対1の強さを誇ります。
2025年現在、28歳。ブライトンとの契約は2027年までで、ビッグクラブからの関心も報じられていますが、さらなる成長と日本代表での活躍が楽しみです。
彼のキャリアは、努力と独自の理論で築かれた成功物語です。











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