RCDマジョルカは、スペイン・バレアレス諸島のマジョルカ島、パルマを本拠地とするプロサッカークラブです。
1916年に創設され、ラ・リーガ(スペイン1部リーグ)やセグンダ・ディビシオン(2部リーグ)を行き来する中で、クラブ史上最も成功した1990年代から2000年代には国内外で注目される存在となりました。
ホームスタジアムは、収容人数20,500人のエスタディ・デ・ソン・モイシュです。
愛称は「バミュース(赤い人たち)」で、鮮やかな赤いユニフォームがクラブのシンボルです。
創設と初期の歴史
RCDマジョルカは、1916年に「アルフォンソ13世フットボールクラブ」として創設されました。
このクラブ名は当時のスペイン国王アルフォンソ13世にちなんで名付けられています。
その後、幾度かの改称を経て現在の名前になりました。
スペイン国内リーグが始まる前は、地域大会で活躍し、1930年代から全国リーグ戦(セグンダ・ディビシオン)に参加しました。
クラブが初めてラ・リーガ(1部リーグ)に昇格したのは1960年のことです。
その後、数十年にわたり1部と2部を往復する時期が続きました。
1990年代から2000年代の黄金期
RCDマジョルカがクラブとして最も輝いた時期は、1990年代後半から2000年代初頭です。
この時期はクラブの歴史における「黄金期」とも呼ばれます。
ラ・リーガでの躍進
1997年に1部リーグに復帰すると、1997-98シーズンには新監督エクトル・クーペルの下、クラブ史上初のコパ・デル・レイ決勝に進出しました(惜しくも敗北)。
その後も安定した成績を収め、ラ・リーガの上位争いに顔を出すようになります。
国内カップとヨーロッパでの成功
1999年にはコパ・デル・レイで優勝を果たし、クラブ初の主要タイトルを手にしました。
この優勝により、マジョルカは翌シーズンのUEFAカップウィナーズカップに出場し、決勝まで進む快挙を達成(ラツィオに敗れるも準優勝)。
2003年には2度目のコパ・デル・レイ優勝を飾り、国内外での存在感を高めました。
近年の動向
苦境と復活
2000年代後半、クラブは財政問題に直面し、2012-13シーズンには2部リーグへの降格を余儀なくされました。
その後、経営の立て直しに苦労し、一時は3部リーグまで低迷。
しかし、2016年にクラブを買収したアメリカ人オーナー陣のもとで再建が進み、2018-19シーズンには再びラ・リーガ昇格を果たしました。
現在の挑戦
近年は、若手選手の育成や堅実な戦術で中堅クラブとしての地位を確立しつつあります。
特に日本人選手の久保建英の活躍が話題となり、国際的な注目を集めました。
主な所属選手
歴史的なスター選手
サミュエル・エトー
カメルーンのストライカーで、マジョルカの黄金期を支えたエース。
ラ・リーガで得点王争いに絡む活躍を見せ、クラブ歴代最多得点記録(54ゴール)を保持しています。
アルベルト・ルケ
スペイン代表にも選ばれたウィンガーで、マジョルカでの活躍を契機に名声を高めた選手。
ダニ・グイサ
2007-08シーズンにラ・リーガ得点王(ピチーチ賞)を獲得し、同年のEURO 2008でスペイン代表として優勝を経験したストライカー。
日本人選手の存在
大久保嘉人(2005-06)
Jリーグ得点王からスペイン挑戦を果たした日本人選手で、短期間ながらマジョルカでプレーしました。
家長昭博(2009-10)
当時若手注目選手としてレンタル移籍で加入。欧州挑戦のきっかけを得た選手の一人。
久保建英(2019-20, 2021-22)
レアル・マドリードからのレンタルで加入し、抜群のテクニックと創造性でファンを魅了しました。
マジョルカの攻撃の中心として、重要な活躍を見せました。
ホームスタジアムと地域のサポート
RCDマジョルカの本拠地、エスタディ・デ・ソン・モイシュは、バレアレス諸島を訪れる観光客にも人気のスポットです。
クラブの試合は地元住民や観光客の両方から熱烈な支持を受けています。
マジョルカ島という特別な地域性もあり、クラブは地元文化のアイデンティティを象徴する存在です。
チーム哲学と今後の展望
RCDマジョルカは、地域性を大切にしつつ、堅実な経営と若手育成を重視するクラブです。
国内での中位以上定着を目指しながら、ヨーロッパの大会出場も目指しています。
また、アジア市場や若手スター選手への注目が、クラブの国際的な人気をさらに高めるきっかけとなっています。
最後に
RCDマジョルカは、波乱万丈の歴史を持つクラブでありながら、そのアイデンティティと地元の熱意によって支えられています。
黄金期に築いた実績とともに、今後も国内外で存在感を発揮することが期待されます。
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