右足から繰り出す変幻自在なドリブルと、鋭い得点嗅覚。
宇佐美貴史はユース時代から「都市伝説」とまで称された天才肌の攻撃的MFです。
19歳でバイエルン・ミュンヘン入りという衝撃のステップを踏みながらも、欧州での苦闘を経て古巣ガンバ大阪へ戻り、クラブ歴代最多得点者として今なお輝き続けています。
ガンバ大阪ユース:「別格」の少年、17歳でトップデビュー
1992年5月6日、京都府長岡京市生まれ。両親揃ってガンバ大阪サポーターという家庭に育ち、3歳ごろには一人で公園へ出かけてボールを蹴っていたといいます。
2005年にガンバ大阪ジュニアユースへ入団すると、2007年には中学3年生ながら1学年上のカテゴリーであるユースへ飛び級昇格を果たし、全国大会制覇にも貢献しました。
ガンバのアカデミーで数多くの逸材を輩出してきた中でも、家長昭博と並んで最高傑作と称される天才ぶりで、 2009年には高校2年生でトップチームへの昇格を果たし、プロ2年目にはJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞。
「黄金の中盤」と呼ばれた遠藤保仁らとともにスタメンを勝ち取り、2010年には26試合7ゴールを記録しています。
バイエルン・ミュンヘンへ:19歳での電撃移籍
2011年、当時19歳の宇佐美はそれまで日本人選手が誰も入ったことのない世界的名門、FCバイエルン・ミュンヘンへの移籍を果たし、日本サッカー界に大きな衝撃をもたらしました。
チームメイトにはノイアー、ロッベン、リベリー、トーマス・ミュラーらが名を連ねる錚々たる顔ぶれ。
リベリーからは「才能に恵まれているが経験が少なすぎる。出場機会を増やすべきだ」とアドバイスを受け、ラームも「あまりに若いままバイエルンに加入してしまった。ものすごい才能の持ち主だが」と後に語っています。
結果は3試合0ゴール。翌シーズンにホッフェンハイムへレンタル移籍しましたが、20試合2ゴールにとどまりました。
本人も後に「挑戦という意味では失敗だったと言わざるを得ない」と述べており、欧州での2年間は理想とはかけ離れた時間となりました。
ガンバ復帰と三冠:鬱憤を爆発させた「本当の才能」
2013年、当時J2だったガンバ大阪へ復帰。
ドイツで溜まった鬱憤を晴らすように、シーズン途中の加入ながら18試合で19得点という爆発的な数字を叩き出しました。
翌2014年にはJ1でも本領を発揮します。
ヤマザキナビスコカップ決勝では2点ビハインドから逆転優勝に貢献し、天皇杯決勝でも2ゴール1アシストの大仕事。
公式戦合計21ゴールを記録し、ガンバ大阪のクラブ史上初となる国内三冠の立役者となりました。
Jリーグベストイレブンにも選ばれ、欧州時代の評価を国内で完全に塗り替えます。
デュッセルドルフ昇格貢献とアキレス腱断裂:試練の後半戦
2016年に2度目の欧州挑戦としてアウクスブルクへ移籍したものの、翌年にはドイツ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフへレンタル移籍。
原口元気とともに両翼を担い、4試合連続ゴールなど活躍してブンデスリーガ昇格に大きく貢献しました。
2018年に古巣へ3度目の帰還を果たしますが、2022年にはアキレス腱断裂という重傷を負い、7試合0ゴールで戦線を離脱。
しかし翌2023年には遠藤保仁から受け継いだ背番号7を纏い、キャプテンとしてチームを鼓舞しながら復活を遂げました。
まとめ
バイエルン入りという夢の舞台で挫折を味わいながらも、古巣で三冠を達成し、怪我を乗り越えてエースとして君臨し続ける宇佐美貴史。
ガンバ大阪におけるJリーグ通算最多得点者 として刻み続けるゴールの数は、「プラチナ世代」の10番が本物であることを静かに、しかし確かに証明しています。






















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