172cmの体格から繰り出す鋭いドリブルと、ペナルティエリアでの冷静な判断力。
香川真司は「日本人選手の最高到達地点」とも称される存在として、ドイツ・イングランドをはじめ欧州6カ国のピッチで輝きを放ってきました。
その軌跡をたどります。
セレッソ大阪:異例のプロ入りと驚異的な得点力
1989年3月17日、兵庫県神戸市生まれ。
幼稚園のころからサッカーを始め、小学5年生のときに神戸NKの監督の勧めでFCみやぎバルセロナへサッカー留学を果たしました。
中学・高校時代から頭角を現し、高校3年生に進級するタイミングでセレッソ大阪とプロ契約を締結。
Jリーグ下部組織以外では、高校卒業を待たずにプロになった選手の第一号となりました。
転機は2年目の2007年です。
レヴィー・クルピ監督から攻撃的ミッドフィルダーとして起用され、「ドリブルで仕掛け、ゴールを狙え」と求められたことで才能が開花。
3年目の2008年には16ゴールを記録しました。
さらに2009年には、J2リーグ44試合で27得点16アシストという驚異的な数字を叩き出し、ミッドフィルダー登録では史上初となるJ2得点王を獲得。
乾貴士とのコンビはJ2では反則級と評されるほどで、チームのJ1昇格を力強く牽引しました。
ドルトムント:ブンデスリーガ連覇の立役者
2010年7月、ドイツの名門ボルシア・ドルトムントへ移籍。
南アフリカワールドカップではサポートメンバーとしての帯同にとどまりましたが、大会後すぐに本場ヨーロッパでその実力を証明して見せます。
初年度は18試合8ゴールでリーグ優勝に貢献。
翌2011〜12シーズンは31試合13ゴールを記録し、2年連続のブンデスリーガ制覇に大きく寄与しました。
シャルケとのルールダービーで2ゴールを挙げた一戦では、ドイツ全土にその名が知れ渡り、異例ながら個人へのチャントがスタジアムに響き渡るようになりました。
マンチェスター・ユナイテッド:プレミアリーグへの挑戦
2012年夏、アジア圏の選手としてパク・チソン以来2人目となるマンチェスター・ユナイテッド入りを果たします。
プレミアリーグでは在籍2年間で38試合6得点を残しましたが、ファーガソン監督退任後に指揮を執ったモイーズ、続くファン・ハール体制では出場機会が減少。
事実上の戦力外通告を受け、2014年夏に古巣ドルトムントへ復帰することになります。
ドルトムント復帰とその後の転戦
ドルトムント再加入後は、ムヒタリアン、オーバメヤン、マルコ・ロイスとともに「ファンタスティック4」と称される攻撃陣の一角を担い、2016〜17シーズンにはポカール杯(DFBポカール)優勝も手にしました。
2019年以降はトルコのベシクタシュ、スペイン2部サラゴサ、ギリシャのPAOK、ベルギーのシント=トロイデンと各地を渡り歩き、2023年2月にはついに古巣セレッソ大阪へ帰還。
エースナンバー8番を再び纏い、かつての鋭さとは異なる落ち着いた司令塔として、セレッソの攻撃を操っています。
まとめ
神戸の少年が仙台へ渡り、大阪でプロとなり、やがてドイツ・イングランドをはじめ欧州6カ国のクラブでプレーした香川真司。
ブンデスリーガ2連覇、プレミアリーグ制覇と、日本人選手が到達した頂の高さは群を抜いています。
いまもなおそのキャリアは、後進の選手たちが世界を目指すうえでの、鮮明な道標であり続けています。







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