ACFフィオレンティーナは、イタリアのフィレンツェを拠点とするプロサッカークラブで、その歴史は成功と挫折の両方に彩られています。
正式名称は「Associazione Calcio Fiorentina」で、一般に「フィオレンティーナ」や「ラ・ヴィオラ(紫)」と呼ばれ、紫色のユニフォームで知られています。
クラブは1926年に創設され、イタリアサッカーのトップリーグであるセリエAで長きにわたり活躍してきましたが、2002年の破産と再設立という劇的な出来事を経て、現在に至っています。
ここでは、フィオレンティーナの歴史と主な所属選手について詳しく振り返ります。
創設と初期の成功(1926年~1950年代)
フィオレンティーナは1926年8月29日に、フィレンツェの2つのクラブ、Club Sportivo FirenzeとPalestra Ginnastica Fiorentina Libertasが合併して誕生しました。
当初は地域リーグで活動していましたが、1931年にセリエAに初昇格を果たし、イタリアサッカーのトップレベルでの地位を確立し始めました。
この時期、クラブは新たに建設されたスタディオ・アルテミオ・フランキをホームスタジアムとし、現在は約43,000人を収容します。
1950年代はフィオレンティーナにとって最初の黄金時代でした。
1955-56シーズンにクラブは初のセリエA優勝(スクデット)を達成します。
このシーズン、ミゲル・モントゥーリやジュリオ・チェルヴァートといった選手に支えられ、チームは圧倒的な強さでリーグを制覇しました。
さらに翌1956-57シーズンには、UEFAチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)の決勝に進出しますが、レアル・マドリードに0-2で敗れて準優勝に終わりました。
この時期の成功は、フィオレンティーナがイタリアを代表するクラブとしての地位を築く礎となりました。
1960年代~1970年代:カップ戦での成功と2度目のスクデット
1960-61シーズン、フィオレンティーナはUEFAカップウィナーズカップで優勝し、イタリアのクラブとして初めて欧州タイトルを獲得します。
決勝ではスコットランドのレンジャーズを2試合合計4-2で下し、クラブ史に輝かしい1ページを刻みました。
この時期の中心選手には、スウェーデン出身のクルト・ハムリンがいました。
彼はクラブの歴代得点ランキングで上位に名を連ねる名ストライカーです。
1968-69シーズンには、2度目のセリエA優勝を果たします。
このシーズン、ブルーノ・ペサーニャやジャンカルロ・デ・システィといった選手が活躍し、ミランやカリアリといった強豪を抑えてタイトルを獲得しました。
また、クラブはコッパ・イタリアでも成功を収め、1940年、1961年、1966年、1975年と計4回の優勝を記録します。
これらの勝利は、フィオレンティーナがリーグ戦だけでなくカップ戦でも競争力を持つクラブであることを示しました。
1980年代~1990年代:バティストゥータ時代と浮沈
1980年代以降、フィオレンティーナは一時的に低迷しますが、1990年代に再び脚光を浴びます。
その立役者がアルゼンチン出身のガブリエル・バティストゥータです。
1991年に加入したバティストゥータは、クラブの象徴となり、セリエAで168ゴールを記録し、フィオレンティーナの歴代最多得点者となりました。
彼の活躍により、1995-96シーズンにコッパ・イタリア、1996年にスーペルコッパ・イタリアーナを獲得し、クラブは再びタイトルを手に入れました。
また、1996-97シーズンにはカップウィナーズカップで準決勝まで進出しますが、バルセロナに敗れています。
この時期、他にもルイ・コスタやステファン・シュワルツといった名選手が在籍し、フィオレンティーナは「ビッグ7」と呼ばれるイタリアの強豪クラブの一角に数えられました。
しかし、1990年代末から2000年代初頭にかけて、クラブは深刻な財政難に直面します。
2002年の破産と再設立
2001-02シーズン終了後、オーナーのヴィットリオ・チェッキ・ゴーリによる財務管理の失敗が明らかになり、フィオレンティーナは巨額の負債を抱えて破産を宣言します。
クラブは76年の歴史に幕を閉じ、2002年8月に新たに「Associazione Calcio Fiorentina e Florentia Viola」として再設立されました。
新オーナーのディエゴ・デッラ・ヴァッレのもと、クラブはセリエC2(4部リーグ)からの再スタートを余儀なくされます。
この再設立時、唯一残留した選手がアンジェロ・ディ・リーヴィオでした。
彼の忠誠心はファンに深く愛され、クラブ復活の象徴となります。
2002-03シーズン、ディ・リーヴィオと30ゴールを挙げたクリスティアン・リガノーの活躍でセリエC2を制覇します。
さらに、「カーゾ・カターニャ」による特例でセリエC1をスキップし、セリエBに昇格しました。
2003年には「ACFフィオレンティーナ」の名称と伝統的な紫のユニフォームを取り戻し、2004-05シーズンにセリエA復帰を果たします。
2000年代以降:復活と近年の挑戦
セリエA復帰後、フィオレンティーナは徐々に競争力を取り戻します。
2000年代後半には、ルカ・トーニ、セバスティアン・フレイ、アドリアン・ムトゥ、リッカルド・モントリーヴォ、アルベルト・ジラルディーノといった選手が活躍し、UEFAチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグで存在感を示しました。
特に2008-09シーズンにはチャンピオンズリーグのグループステージを突破しています。
近年では、フェデリコ・キエーザやドゥシャン・ヴラホヴィッチといった若手スターが台頭します。
キエーザは2020年にユヴェントスへ、ヴラホヴィッチは2022年に同じくユヴェントスへ移籍しましたが、彼らの活躍はクラブの育成力の高さを証明しました。
2021年に就任したヴィンチェンツォ・イタリアーノ監督の下、チームは2022-23および2023-24シーズンにUEFAヨーロッパカンファレンスリーグの決勝に連続進出します。
しかし、いずれも敗れてタイトル獲得はなりません。
それでも、この連続決勝進出はクラブ史上初の快挙であり、フィオレンティーナの復活を印象づけました。
主な所属選手
フィオレンティーナの歴史を彩った主な選手を以下に挙げます
ガブリエル・バティストゥータ(1991-2000):168ゴールでクラブ最多得点記録保持者です。
クルト・ハムリン(1958-1967):150ゴール以上を記録したスウェーデンの名ストライカーです。
ジャンカルロ・アントニョーニ(1972-1987):クラブの象徴的ミッドフィールダーで、356試合出場しました。
ルイ・コスタ(1994-2001):ポルトガルの天才的司令塔です。
アンジェロ・ディ・リーヴィオ(1993-2005):破産後も残留し、復活に貢献しました。
ルカ・トーニ(2005-2007):2005-06シーズンのセリエA得点王です。
フェデリコ・キエーザ(2016-2020):若手スターとして注目され、ユヴェントスへ移籍しました。
ドゥシャン・ヴラホヴィッチ(2018-2022):2021-22シーズンに21ゴールを挙げブレイクしました。
まとめ
ACFフィオレンティーナは、創設以来、2度のセリエA優勝、6回のコッパ・イタリア制覇、1度の欧州タイトル獲得という輝かしい実績を誇ります。
一方で、財政破綻という危機を乗り越えてきたクラブでもあります。
バティストゥータやハムリン、アントニョーニといったレジェンドから、キエーザやヴラホヴィッチといった新世代まで、数多くの名選手がその歴史を刻んできました。
今日もフィレンツェの紫の誇りとして、ファンに愛され続けています。
コメント